前も言ったような気がする呟き

たぶんこの先嫌なことがあっても、首吊ることは無いんだろうなぁと思う自分。
本気で孤独で死にたくなっても、云わばそれは産みの苦しみであって、どこにも行けない思いではない。
苦しいと、こんな感じのものだという映像が降ってきて、それを紙面に表現する。
物語の展開により、今感じている苦しさに対する自分の姿勢(或いは望み)が見られる。
大抵は最後に光が垣間見られるので、自分はまだ大丈夫なんだろうと思う。
そうして物語を産み切ると、辛さは物語として自分から分離される。苦しさを物語に押し付ける、と言った方が的確かもしれない。
そうすると、書き終わった瞬間から笑いが止まらなくなる。昇華されてすっきりしたのと、満足感があるのだが、何故こんなにハイになるのかは自分でも分からない。


こんな状態だから、私の小説は人に見せる価値は無い。全く無い。ヘタクソ以前の問題に、目的が違う。
以前友人や旦那にチラ見してもらったことがあるが、「もし○○だったら、主人公はどうしたんだろう?」「主人公は○○と感じていたの?」などと訊かれた。が、私はなんとも答えられない。
物語がそうなったのであり、主人公は主人公の考えで行動したのだから、その事実から推測するしかない。自分でも自分の物語が分からない。
やっぱり、私の小説は自分にしか価値が無いのだと思う。もはやこれは「小説」では無いのかもしれない。「文字を使った自己表現」? いや、相手に伝えられていないのだから、表現ではない。


うまいカテゴリが見つからないけど、取り敢えず分かっているのは、小説が書ける限り、私はそうそう首を吊らないんだろうということだ。