たま〜に小説を書く

私は小説家になろうと思ってないから、好きなように書けば良いと思ってる。それが自分の納得するものであれば。
では自分の書きなぐったものが納得いっているかというと、さにあらずで。
なんだろうなあ。
とりあえず、今の自分が書くものはうんこだと思うよ。まじで。
自分が納得するかどうかの問題だから、何が悪いかは自分で見つけるものだと思う。
だから旦那以外には誰にも見せてないし。旦那の意見を求めてる訳でもないし。
読んだらそのままトイレでお尻拭いてくれて良いんだ。とか言うと旦那は必死にフォローするけど、その程度の代物だし。
一番の問題は、今の自分自身に外に訴えるべき強い主張が無いことなのかもしれない。
私にとってはそれが書くエネルギーだったから、叫びたいくらいの憤然とした思いがあまり無い今は小説の手が止まってもしょうがないのかも。
でもそれがダメだとは思わない。
小説と自分の関係において、主たるものは自分だと思うから。
まあ、この意見はあくまで小説を完全なる自己表現と捉えた私の意見に過ぎなくて、人に見せることを目的とした場合はまた違うんだろうけど。
そういえばずっと以前に「小説は読み手がいなければ成り立たない。然るに、読み手を無視したお前の小説はダメ」という主張をされて、そんなことないことを確かめるために「書いたものを誰にも見せない」を決行した訳だけど、今思うのは「やっぱり、小説に読み手は不要」ということだ。
小説は単体として成り立つし、読みたい奴がそれを読む。読みたくない奴は読まない。
それもまたありだと思う。
こういうスタイルを批判する輩もいるが、小説に「こうあるべき」という絶対的な枠を作った時点でおしまいだと思うよ。
何に関してもそうだけど、今の自分の考えなんて仮枠でしかないんだから。私のこの考えだって、明日の朝には変わってるかもしれない。
むしろ、一秒後に変えられるくらいの柔軟さがあった方が世界広がると思うよ。